翌日、アイギスシールドの重大な欠陥を指摘するレポートが、クレイトン家セキュリティ部門に届けられた。
レベル1時の不法侵入は不可能。
レベル3時の不法侵入は不可能。
通常時からレベル3までレベル2を通り越してセキュリティレベルをスキップアップさせた場合、
両ソフトの処理能力の差のために生じる電子的誤差により、0.0000001秒間のみ侵入が可能。

ただし、シャイアンホールをバックアップに使用した上で、
ペンドラゴンのシステムをバージョンアップさせたシステムが、
アイギスシールドと共倒れ覚悟でハッキングを仕掛けた場合に限られるというとんでもないレポートであった。
米国が電子戦の総力を結集した上で、両方の怪物級のシステムを自在にこなせなければならないという、
限りなくゼロに近い確率で発生しうる、欠陥と呼ぶにはあまりにも厳しい指摘である。
そしてこのレポートを提出した人物は、それをやってのける、もしくはやってのけたことになる。
ペンドラゴンとシャイアンホールという世界最高のセキュリティシステムをハッキングしたうえで、
世界でもっと堅固なイージスの盾にぶつけてみせるという離れ業を.........。




「さて、どういうことか説明してもらうとしましょうか。」
レポート用紙に目を通しながら、執事長兼クレイトン家セキュリティ部門最高顧問のアルフレッドは彼女に発言を促す。
レポート提出した人物は、ヘンリー付きメイドのクレアである。
「それぞれ独立したレベルではセキュリティ・アイギスは完璧ですが、レベル間の引渡しに生じる.....」
「いや、そういうことではないよ、クレア。」
アルフレッドはいたずらっ子を咎めるような眼で、クレアの説明を片手をあげて遮る。
「君はセキュリティレベルが1から3へとシフトするという状況をあらかじめ想定していたね?
 でなければ、この仰々しいパターンのハッキングは成功していない。
 レベル3への緊急移行はアイギスが稼動してから初のことだし、
 そのタイミングをこれまでずーっと呑気待っていたとしたら、君はチャイニーズ並に気が長いということになるね。
 つまり、今回の騒動が起きることを知っていた、いや、こうなるように仕向けた。」


クレイトン家のセキュリティシステムには、抜き打ちの検査が常時行われている。
世界で最固の壁として君臨し続けるために、必要かつ必須の検査である。
以前、この場で語ったように、クレイトン家のセキュリティは全てにおいて完璧が求められる。
家人狙撃対策用に特殊部隊が、ペイント弾をライフルに込めてやってくるようなものから、
敷地内に侵入を行う往年の金庫破りのような、地道で古典的な方法の検査もたびたび行われている。

そして、コンピュータセキュリティに対する抜き打ちのハッキングも同様に行われているのである。
英国情報部(MI6)を筆頭に、様々な猛者がアイギスシールドに仕掛けるのだが、ここまで誰一人としてその盾を貫けない。
もちろん、ハッキングに関する恐るべき才能を有するクレアも度々アイギスの能力チェックに『協力』している。
昨日、アルフレッドが「仮に」とヘンリーの前で進めた話は、仮の話ではなく、実際に何度もクレアのハッキングを退けたアイギスの性能結果である。
そして、彼女はアイギスの盾の本の小さな傷をついに見つけた。
その傷が致命傷になる前に手を施さなければならない。全てはクレイトン家を守るために必要な処置なのだ。



「クレア、君がエラリー・クイーンなのだね?」


セキュリティシステム・アイギスシールドの欠点を探すために。
通常では探し出せない小さな欠点を見つけ出すために。
そして、セキュリティが臨戦体勢になる事態は、クレイトン家に何らかの『攻撃』があった場合以外にはない。
クレイトン家の次期当主、ヘンリー・ウィリアムに起こった些細な日常を、事件へと発展させた引き金。



「ヘンリー様が、もし私を使う決断をしてくださったら、全てお話するつもりでした。」



エラリー・クイーンを名乗った人物の目的は、セキュリティシステムの穴をクレイトン家のために見つけること。
チェスの世界チャンピオンであるヘンリーに注目させるため、マクマソン卿の指し筋を母体とした、プログラムを組み上げた。
そのプログラムが、クレイトン家の彼女の部屋から発信されたことがばれれば、オオゴトとして処理されない。
外部からの侵入を装い、さらに簡単には特定されないよう、電子産業のトップ会社イブンを隠れ蓑として利用した。
防御は細心、攻撃は大胆を旨とする信頼できる執事長がセキュリティレベル2までしかあげなければ計画は失敗。
アルフレッドの判断、さらにこちらの情報どれ一つとっても、当事者に洩れてしまっては水の泡となる。
鉄の意志と緻密な計算がこの計画には必要だった。
エラリーはセキュリティの穴を見つけ、目的を達した。
これでクレイトン家を支えるセキュリティシステムは、より完全な壁として、これからも英国を守りつづける。
目的を達成するために、守るべき主人を巻き込み、短剣を突きつけ、動揺を誘い、裏口から侵入する。
全ては、『その時』を訪れさせないために必要なこと。


ではクレアとしての目的は達成されたのか?
愛すべき主人を騙し、攻撃をしてまで達したい目的がクレアにあったのか?
使われない駒ほど寂しいものはない。
大切に扱われるのは心地よいが、誰かのために力を出せる嬉しさには到底及ばない。
そして敬愛すべき主人への尽力であるならば、これ以上の喜びはないのである。
ヘンリーはアルフレッドにはある程度の調査を任せ、彼女には何一つさせてもらえない。
ヘンリーと過ごす日常は、彼女にとって至福である。
誰にも取られたくないという、薄暗い感情が芽生えていたとしても、その甘美な日常に身をゆだねる。
エラリーという架空の人物の裏側で、クレアは優しさに対する不安を持ちつづけていた。
愛情と独占欲は決して異なる感情ではない。

エラリーとして残したメッセージ「優しきチャンプ」は、クレアが心の奥底に持ち続けていた潜在的な不安だった。


「私は.....ヘンリー様に必要とされないことが......」

全く表情を変えないまま、正面だけを見据え、

「.........不安なのです。」

一度だけのマバタキが、彼女の頬に一筋の涙を落とさせる。

必要とされないことが哀しい。
いつかヘンリーの側にいられなくなるかもしれないことが耐えられない。
依存すればするほど、相手にも依存して欲しいという、それは恋愛の形との差異が見えにくい複雑な感情。

「つい忘れがちになるが、ヘンリー様はまだまだ成長の過程にいらっしゃる。」
アルフレッドは銀の狐が刺繍されたハンカチをクレアに渡す。
わざわざ手ずから涙を拭いてやるようなことはしない。そういう優しさの形もある。
「決断を下すのに必要な条件、それは数値化されたデータであったり、目に見えぬ状況の判断だ。
 しかし、本当にやっかいなのは、その人間の心の動きにあると私は思っている。
 部下を駒として扱えるのは、優秀な指揮官かもしれない.....が、
 ヘンリー様の本質は、そういうことではないという気がしているのだよ。
 あの方は、はるかな高みまで成長をなさろうとも、誰かを駒として扱うことはないだろう。
 だからクレア、君が駒となろうとするのは間違いだと、私は思うよ。」
「では.....私はどうしたら.....」
「今の君に必要なのは、ヘンリー様とともに成長することだ。
 技術的にではないよ、人間として、それから女性として成長することが、必要だ。
 残念ながら、私から見れば、君もヘンリー様も同じように幼い。
 焦りすぎと急ぎすぎは若者の特権ではあるが、これは老人の特権としてのアドバイスだと思いなさい。」
老人と呼ぶほどの老いを感じさせないが、アルフレッドの言葉には重みがあった。
彼の言葉は若者の将来を憂えるものではなく、眩しい未来への道標であったから。

 「ところでまだ一つ疑問が残ってるのだが....」
一度だけ使ったハンカチを返すことはせず、いつもより少しだけ柔らかい笑みを浮かべたクレアはなんでしょうと返す。
「君がアイギスの欠点を見つけ、侵入をしたのは昨日、セキュリティレベルを3にあげた瞬間だね。
 となると、その前にどうやってヘンリー様のHN(ハンドルネーム)、バイロンがヘンリー様だと特定できた理由なのだが...」


「それは秘密です。」


口の前に人差し指を一本だけ立てると、クレアは楽しそうに微笑んだ。
図書館に返却されずに、ベットの枕の下に置かれた本。これは彼女のトップシークレットなのである。









=後日談=

世界チェス選手権で連覇を果たしたヘンリーは、チェス界からの引退を表明した。
チェス界、社交界だけではなく、それこそ世界中で様々な憶測がとんだが、
本格的な教育の充実、及び社交界へ向けて様々な準備に入るからであろうというあたりに噂話は収束した。
噂は概ね外れてはいなかったが、実情は世界各国を訪れ、様々な知識を吸収することにあった。
その国の風土風俗を体感しているということは、外交面において一つの武器になる。
近い将来、重責を担うことが決定している彼にとって、最初で最後の外遊と言えるかもしれない。
その傍らにはいつも信頼できる執事と美しいメイドを従え、クレイトン家の次期当主は、日々すくすくと成長を遂げている。


さて............
この旅行のさなか、ヘンリーが最後に訪れた極東の島国で、運命的出会いをすることになるのだが......




                       to be continue written by Ryo=Amabane 〜来襲!英国天才少年〜


                                           「犯罪は家人の楽しみ」完



戻る