不敗伝説を破った少女 〜番堂美緒〜

Bパート



=11ヶ月と少し前=


槙絵の母親が急逝したのは、聖夜の前日だった。
良い子にクリスマスプレゼントを配る、紅白のめでたい異国の老人は、
そんな素敵な日より一日早く、幼い少女の一番大切な人を奪い去った。
少なくとも、あの日の槙絵にとっては、サンタクロースは死神と並ぶ忌むべき存在であり、
クリスマスという行事は祝うより、呪われるに値する日であった。

10年という歳月は短い。
特に子が親から、全てを学ぶには時間としては、あまりにも短い。
最愛の母からいろいろなことを教わった。
オイシイお好み焼きの作り方に始まり、ゴロゴロしてる父親をどけて掃除をするやり方まで。
これから年頃の女の子に必要な恋についても、ちょっぴり教わった。
そして、物心ついた頃から、せがんで教わり続けた麻雀.......。
この3日間、水すら喉を通らない槙絵。
母の作るハンバーグが、グラタンが、カレーが、もう二度とこの世には存在しないのだ、という残酷な事実に気づく。
それでもグゥと鳴るおなかの音に、槙絵は全てがイヤになった。



槙絵が喪服のままいなくなったことに父親が気がついたのは、葬儀が全て終わってからだった。





「マキエお姉ちゃん.......?」
死んだ魚の目というものを、美緒はまじまじと見つめたことは無かった。
クリスマスの名残を惜しむかのようにごった返す、隣町、月浦の商店街。
その人混みの中、一つだけ年上の幼馴染の目は、美緒の知らない魚のソレであった。
「お姉ちゃん!お姉ちゃん!みんな心配してるんだから!
マキエお姉ちゃんのお父さんも、ボサボサのおっちゃんも、みんな、みんな探してたんだから!」
喪服姿のままの美緒は、同じく喪服をきた槙絵に抱きついて、ワンワンと泣いた。
昨日の通夜と、今日の葬式でも涙が枯れるほど泣いたのに、それでもまだポロポロと涙がでた。
後ろから、そっと美緒の祖母お梅が美緒の頭を、そして母親が死んでから一度も泣いていない槙絵をやさしくなでた。
「この街に来たってことは、お母さんのことを知ってるのかぇ?」
優しく、諭すように槙絵に問いかける。
「ボサボサのおっちゃんが、むかし......この街の.....月浦町の名前を言って...たの.....
母ちゃんの麻雀を見たって。焼きついて.....あの光景が目から離れないって.........
だから......もしかしたら.........」
「槙絵.......ついといで。」
杖をつきながらゆっくりと歩くお梅が、槙絵と美緒を連れていったのは、古い雀荘だった。
店名は『ムーンリバー』。
店外までゆったりとした古い古い曲が聴こえていた。


タバコの煙でうっすらと曇る広い室内は、それなりに客で賑わっていた。
卓の数は10を超え、学生風、サラリーマン、若いカップルと、
様々な客が楽しそうに麻雀に興じていた。
建物の古さとは対照的に、トラブルの目などない、健全な店構えであった。
「ここはね、あんた達が産まれる前は、戦場だったところさ。
今はすっかり、そんなことは微塵も感じさせない綺麗な店になってるけどね。
槙絵、あんたの母ちゃんは、ここでいろんな人を守るために戦ってたんだよ。
 ....そうだね、たしかにここにはあんたの母ちゃんの魂が来てるかもしれないね。」
お梅は囁くように、槙絵に語った。
気の弱そうな店長とおぼしき男が、怖々といった感じで、珍客を出迎える。
「あの、おばあさん。さすがに雀荘に子供ってのは........それとも誰かお探しで?」
喪服の着物を身に付けた老婆、おそらく孫であろう二人の子供も黒い喪服とおぼしき服装。
もし、店にトラブルが起きるとしたら、たった今入ってきた、この3人組以外に誰がいようか。
「保護者同伴で打ちに来たんだよ。文句があるなら、如月の健坊にでも言いな。」
「如月のけんぼう?.......ま、まさか....き、如月組の組長..........?」
「わかったらとっとと、空いてる席に案内しな。あ、一人分でいいからね。
打つのはこの娘だけだ。」
そう言うと、お梅は槙絵の肩をポンと叩く。
「ミオも打つ!」
「あんたにゃ、まだ早い。」
「マキエ姉ちゃんがやるならミオもやるの!絶対、ゼーッタイやるったらやるの!」
ダムダムダムと古い雀荘の床を踏みつける美緒。
近くの卓の客たちは、その振動に慌てて自分の手牌を押さえつけた。
「あー、わかったわかった。二人分空いたら案内してやっておくれ。」
基本的に孫には甘いお梅は、杖で美緒の頭を一つ叩くと「すまないねぇ」と周囲の客たちに頭を下げた。



正直なところ、マスターは困り果てていた。
子供と打ってくれる客がいるかどうか.......
いや、
その前に、まるで人生を終えてきたかのように、まったく表情というものを浮かべない喪服の少女に
これまでの40年という人生の中で、感じたことの無い、うすら寒いものを感じていたし、
もう一人の少女は、知らない場所にきて不安そうだったり、癇癪を起こしたりと納得ができる。これこそ正常な反応だ。
なにしろ、ここは子供にとっては、未知にして異質な空間、大人の社交場なのだから。
一般の客たちは、どこか好奇な目で珍客たちを見ている。
日本中が一年のうちで、一番浮かれるクリスマスの夜に、喪服を着ているのである。
何があったのかと聞くのは恐ろしい、
しかし心のどこかに芽生える好奇心というのは、自然と目の輝きに現れる。
ほどなく、人数割れとなった卓に槙絵と美緒が座ることになった。
二人の少女と同卓になった、サラリーマン風の男たりは、マスターと二言三言会話を交わしている。
どうやら、この雀荘の常連らしく、
「子供相手には賭け事はできないからね。レートは0にしておくよ。」
「すいませんねぇ、お客さん。場代サービスしときますんで」
「いいよいいよ、なんか事情があるんだろうからさ」
訳知り顔のサラリーマン二人は、後にこの取り決めが、自分達を救うことになることを、この時知らなかった。



5分後、たった2局のうちに、美緒を含む3人が跳ばされ、
その8時間後には、美緒以外のメンバーは入れ替わり立ち代りで、30人が仲良く跳んだ。




夜が白々と明ける頃、壮年のいかつい大男が雀荘を訪れた。
その男は、黒のスーツに黒のネクタイ、雀荘のマスターには店に入る前に塩を頼み、自らを清めた。
マスターは恐縮しながらも、これまでの経緯を語ろうとしたが、既に如月組の組長たる男は全てを知っていた。
広域暴力団の版図拡大をたった一人で喰い止めた伝説のヤクザ。
如月組二代目組長、如月健梧郎は、子供達の麻雀を見つめる老婆のとなりに立つとタバコに火をつけた。
「しわくちゃの婆になったとはいえ、麻雀小町が連れてくる娘ッ子は、いつも洒落にならねーな。」
「言っておくけど、あたしが教えてるのは、あっちの跳ばされ続けてる方さね。」
「10歳かそこらのガキが、あれだけやられて、ケツまくらねぇって根性もスゴイけどな。」
「あれは、根性じゃなくって、友情ってもんさね。」
8時間、一度も席を立とうとしない槙絵に対し、美緒もまた、一度も卓から抜けようとしなかった。
美緒は一度も徹夜なんかしたことはなかった。
いつもは夜の八時になったら眠くなるのである。
年末の紅白歌合戦だって、夜の十時が美緒にとっては、これまでの最長記録だった。
おまけに、人間は泣くという行為にはすさまじい体力を使う。
既に、目はかすれ、牌を持つ指にも力は入っていない。
それでも、無表情に勝ちつづける槙絵を、止められるのは自分だけだと、誰かが叫んでいる気がしていた。
今、槙絵は周囲のどんな声も耳に入っていない。
ただひたすら、目の前の牌を組み立て、卓を囲んでいる敵を機械的に打ち倒しているのみ。
この夜は、槙絵以外、誰一人としてあがっていなかった。
それが、神の御業によるものか、悪魔の仕業によるものかは、誰の目にも明らかであった。
神に祝福された少女であるならば、あそこまで、悲しみを覆い隠す無表情など作れはしないのだから。

「.........幸せになったって聞いてたんだがな......早い...早すぎるぜ。」
「幸せだったさ。可愛い娘にも恵まれたしね。亭主はまぁ.....アレはアレでいいとこあったらしいよ。
 ......なんにせよ、今の槙絵は、あの世から見せられないけどね。
 牌が悲鳴をあげてるよ......」
人が哀しみの泉で溺れ死ぬことがあるならば、
今の槙絵は、その泉の底にゆっくりと身を横たえようとしているように見える。
人生の裏街道をその眼で見てきた義侠の男には、たしかにそう見えていた。



蛍光灯の灯りに満たされていた、雀荘がにわかに明るくなった。
東向きにとりつけられた小さな窓から、クリスマスの終わりを告げるかのような朝日が差し込んできた。
陽光は、死屍累々とかして、雀荘の床やソファーに寝転んでる客たちを照らし、
たった1卓、いまだ打ち続けられている槙絵達の雀卓にも、等しく今日の朝日で照らし出した。
「マキネエぇっ!!ロンっっ!!」
槙絵はその声に、ビクンっと、身体を振るわせた。
虚ろだった目に、光がゆっくりと戻ってくる。
ほぼ、毎日聞かされた言葉。
(手を抜いたら弱い子に育つからダメ。)
槙絵の母は、槙絵の母ちゃんは麻雀に関しては一切の手を抜かなかった。
そして必ず最後に槙絵を狙い打ちにするのである。
(ロンっ!!ふっふっふ、油断しちゃーダメよ、マキエ。)
店中に響き渡る少女の声に、誰もが飛び起きた。
美緒の手牌は13面待ちの国士無双であった。
そして、槙絵が切った牌は............................

「まぁ、6索と9索は徹マンなんかだと、よく間違えるわな......
おまけに朝日が卓に差し込んで、目に染みるとなりゃぁ、なおさらだわなぁ。」

お梅はがっくりを肩を落としながら、天を仰ぐという、非常にむつかしい仕草をした。
「ミオちゃん、それ、誤ロンだよぉ。」
13面待ち国士無双を誤ロンした美緒は、高らかに上がり宣言をしながら、卓に突っ伏して寝ていた。
右に方にある三元牌が、既に美緒のヨダレでベトベトになりつつあった。
プっと、槙絵がふきだした。
店内の疲れきった客も、マスターも、ヤクザの組長も、伝説の麻雀小町も、みんなつられて笑い出した。
「ありがと.....ミオちゃん。」


クリスマスが終わった日の朝。
母親が亡くなって、初めてちょっとだけ泣いた。

この闘いの勝者は......マキエお姉ちゃんから、マキ姉と呼ぶようになった。








=11ヶ月とちょっとだけ後=


「ミオちゃん、ロン!13面待ち国士無双〜♪」
「はぁ........。今回は手が出せんな。まぁ止めろって方が無茶か?」
「うーわ、そんなの初めてみた。」
「それはミオのチョー必殺技なのにっ!!マキ姉ずるい!!」
椅子から立ち上がって、床をダムダムと踏みつける美緒に、槙絵はイタズラが成功した子供のような笑顔をみせる。
「そろそろ一年だし、思い出と感謝の気持ちも込めてってことでね。」
ボーンボーンと古い柱時計が5回ほどなった。
『うぉぁっ寝過ごしたぁ!』
店の天上、正確には二階から槙絵の父親、ゲンの声が聞こえてくる。
なにやらドタンバタンしてるのは着替えている音だろうか。
「おっと、マズイマズイ。
 ボサボサのおっちゃんは、ここの片付け、
 結宇お姉ちゃんは、あっちの卵と小麦粉運んで!
 ミオちゃんは、いつも通りお店の前の掃き掃除とのれん!
 ほら、急ぐ急ぐ〜!」
「ミオにも1回くらい厨房やらせてよぉ。
 ハバネロ味のお好み焼きに挑戦したみたいんだから〜。」
ブツブツ文句をいいながらも、ホウキとチリトリと暖簾をもって店の外に出る美緒。
「いつもアリガト。ミオちゃん」




クリスマス色に飾られたからくり商店街の一角。
まぎれるように店の看板と真っ赤な提灯に灯りがともる。
ドタタタっと誰かが階段を転げ落ちる音が響く中、
今日もお好み焼き屋【大三元】は今日も元気に開店したのであった。


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