ある大三元の一日

とりぐらふ


とある平日の昼下がり。
ここはお好み焼き「大三元」の店内。今厨房で夜の営業分の仕込みをしているのが私の愛する主人。
飲む、打つ、買うの三拍子揃った世間一般でいわれるダメ人間の典型なのだが、
私のことは心の底から愛してくれた。
この「大三元」というお店も私と主人が初めて雀卓を囲んだときに、
私が主人からあがった役満「大三元」からとったもの。二人の初めての麻雀記念にということで主人が名づけたのだ。
娘の槙絵と愛しのダーリンを残して先に私だけ死んでしまうなんて・・・。
ごめんなさいね、不出来な母親で・・・。



「ん・・・?今碧の声が聞こえたような・・・そんなわけないか。」
一人呟きながらまな板の上のキャベツの山に包丁を振り下ろしていた。
・・・主人は意外と霊感も強いのか?
「ただいまー。」
「おう、お帰り、槙絵。ちょうど良かった。父ちゃんこれからからくり競艇の舟券買ってくるから
店の仕込み頼むわ。」
・・・なんて身勝手な男だろうか。
「ええー!これから私恭子姉ちゃん達と打つ約束してるのにーー!!」
「わりぃ、わりぃ。ちょっとだけだからさ。頼んだぞー。」
「あ、あー!ちょっと、父ちゃんー!!」
娘の呼び止める声が聞こえたか聞こえなかったかは定かではないが(たぶん聞こえただろうが)、
主人はそそくさと店の裏口から出て行ってしまった。全く・・・競艇となると目が無いんだから。
一人店に取り残された槙絵は、
「もう、父ちゃんたら・・・。」
などと愚痴をこぼしながら、雀荘「牌楽天」に行けなくなったことを連絡すべく電話の受話器を取りダイヤルを廻すのであった。
「さてと、仕込みをするか・・・・・・って、まだこんなに残ってるのー!?」
厨房のテーブルの上にはまだ千切りにされていないキャベツがゴロゴロと転がっていた。
「ふう・・・やれやれ・・・。」
ため息をつきながらも槙絵はランドセルを奥の部屋に放り投げ、腕まくりをしてキャベツの山と格闘を始めた。

大三元は博打好きが多く集まるせいか、営業時間が午後から深夜にかけてがメイン。
休みや営業時間もホント、主人の気まぐれ。さらに、競艇で大当りしようものならどこから聞きつけてきたのか常連がワンサカ集まり
主人をこぞっておだてまくる。調子のいい主人はいつも儲けを奢ってしまい、アシが出てしまうのは日常茶飯事。
そんなことだからいつまで経っても我が家の家計は火の車なのだが、笑いの絶えないそんなお店が私もお客さんも大好きなのだ。



トン、トン、トン、トン、トン・・・。
槙絵が包丁を振るうと心地よいリズムが奏でられ、キャベツがみるみるうちに刻まれていく。
ほとんどの丸いかたちをとどめたキャベツの山が千切りの山に変わったころ、
「あー!ちくしょう!あの1番めーーー!!!」
などと喚きながら主人が帰ってきた。どうやら舟券は取り損ねたらしい。
「モーターとペラの相性もコース取りも文句なしだったのにあのヤロウ、スタートで失敗しやがって・・・。」
「全くだよなあ。おかげで俺なんかタテ目喰らっちまったよ!」
もう一人の声の主は小十朗さんだった。どうやら競艇場で一緒になったらしい。
そんなやりとりを聞きつけた槙絵がカウンターの奥から、
「こんなに仕込みを残して行っちゃうからバチが当たったのよ!あ、小十朗さんいらっしゃ〜い。」
と舌を出して罵るも、小十朗さんを見とめると営業スマイルに早変わり。
・・・・・・ホント苦労をかけてすまない。ゴメンよ、ダメな父ちゃんで。
「いやあワリィワリィ。すぐ手伝うからさあ。ああ、小十朗もそこで座って飲んでてくれよー。すぐ店開けるからさあ。」
「じゃあ、ゆっくりさせてもらうよ・・・。」
と、いつもの席に腰掛けて今日のレース結果をメモした新聞に目を落とす。

今日のレースについてあーだ、こーだと主人と小十朗さんが論議している横で槙絵が仕込みの準備をしている。
槙絵も小十朗さんや主人とたわいもない会話に参加したりして時間が過ぎていった。そして突然、
ガラガラガラ!
とけたたましく店の扉が開くと恭子ちゃんが勢いよく店に飛び込んできた。
「ハァッ、ハァッ、槙絵ちゃん、いるっ?!」
「いらっしゃい、恭子ちゃん。どーしたの?そんなに慌てて。」
乱れる息を何とか落ち着かせ、恭子ちゃんはこれまでのいきさつを説明した。
事情を聞くと主人は槙絵に行くように促した。
あとをよろしく、と言い残し恭子ちゃんと出かける槙絵を見て小十朗さんが、
「……槙絵ちゃんが出張らなきゃならんような相手か。面白そうだな。」
と言ってゆっくりと席を立った。



ガラガラガラ、ピシャン!
三人が出て行くのをカウンター越しに眺めていた主人は、おもむろに店内の壁の一点に視線を向けて煙草に火をつけた。
主人が視線を向けた先には生前の私と主人、槙絵の三人で撮った写真が掛けられていた
「ふう・・・。」
紫煙と溜息が同時に主人の口から同時に吐き出された。
「・・・・・・なんか、槙絵も碧に似てきたなあ。」
「碧にも槙絵の成長した姿を見せてやりたかったなあ。早く逝きやがってよ・・・バーカ。」
ええ、ええ。早く逝きましたとも。私もできればそばで槙絵とあなたのことを見守っていたかったけど・・・。
でも、私はいつでもあなた達のことをそばで見守ってますからね!
「あれ?また碧の声が聞こえたような・・・?疲れてるんかなあ・・・。」
などとひとりごちながら、主人は店の前の掃除のために外に出た。
「よお!今日のメインはどうだったあ?!」
声をかけてきたのは同じ商店街でスシ屋を営む政(まさ)さんだった。
「おう、政か。いやあ、見事にオケラだよ・・・。まあ、中に入ってゆっくり話そうじゃないか。」
「そのつもりで来たんだ。まずブタ玉とビール一本頼むわ。」
「あいよー!」


こうしてお好み焼き「大三元」の慌しくも賑やかな一日が始まるのでした。


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