悪漢    「来るな!近寄るとこいつを殺すぞ!」

そこは、洞窟の奥底だった。
悪漢の腕の中には、まだ若い女性。どうやら近隣の村からさらわれてきたようだ。
女性の表情は恐怖におびえている。銃を突きつけられているのだから当然といえば当然だが。
しかし、それは悪漢もまた同様だった。その表情は青ざめ、紛れもない恐怖の色を浮かべていた。

?     「やれやれ、往生際が悪いとしかいえませんね。
       それでも、音に聞こえたラクシャサ党の党首ですか?」

悪漢の視線の先、闇の中から侮蔑の色を含んだ声が響いた。若い男の声だ。
カツーン、カツーンと、かかとが床を踏みならす音が近寄ってくる。

悪漢    「てめえら何者だ!我らラクシャサ党にたった数人で攻めてくるなんて・・・」
?     「我々? ですか?」

悪漢の問いに、闇の中の男の声が反応する。
いや、すでに闇の中にその姿はない。男はすでに悪漢たちの前に姿を現していた。そこにいたのは、戦場には似合わない、スーツ姿の青年だった。
青年は、大きくため息をつきながら額に手をあてる。
あからさまな隙だった。

悪漢    「もらったぞ、若造!」

悪漢は青年に向けて手に持った銃の引き金を何度もひいた。
ドゴォォーン! ドゴォォーン!
洞窟の中を銃声が響く。
だが──青年は涼しい顔のまま悪漢の前にいた。
いや、先ほどと違うのは、彼の手の中に無骨なリボルバーが握られており、その銃口からは煙がたなびいていたことだった。

悪漢    「な、なぜだ!?貴様、不死身か?」
?     「不死身?とんでもない。私はそんな大層なものではありませんよ。
       単にあなたの銃弾をすべて撃ち落とさせていただいただけです

青年はしれっと告げる。そう、青年は、悪漢の銃撃をすべて見切り、それを自らの銃撃で撃ち落としたのだ。
すさまじい早撃ちであり、そして、すさまじい銃の腕だった。

悪漢    「う、撃ち落とした、だと?・・・ばかな、そんなこと・・・」

悪漢は恐怖の目で青年を見つめる。思い出したのだ。東方の島国にひとりの神技ともいえる技を持つ拳銃使いがいることを。
マスター・オブ・ガンマスター・・・・その名も──

悪漢    「まさか、貴様……北城トオルか?
北城トオル「ほう、私の名前をご存じですか?では、我々のこともご存じですね?」
悪漢    
「溥儀……禁衛隊!」

うめくように悪漢がつぶやいた次の瞬間、一発の銃声が響き、悪漢の右手から拳銃が弾き飛ぶ。

北城トオル「Yes」

拳銃を構えながら、北城がニコリと微笑んだ。



※ ※ ※




ハッタリ  「今回も無事終わって良かったな、ニンニン」
北城トオル「そうですね」

グラップラー犯罪者集団「ラクシャサ党」を壊滅した後、ハッタリと北城は日本へと帰投する輸送飛行機の中。ハッタリと北城は座席に座って一息ついていた。
紅華会という巨悪が消えた後も、世界中でグラップラー犯罪が消えることはなかった
いや、むしろ、紅華会という重しがなくなった分、その犯罪は増加したといえるだろう。
紅華会戦後、ほぼ地上最強のグラップラー集団の称号を得ていた溥儀禁衛隊は、
各国政府からグラップラー犯罪解決への協力を要請されており、日々、世界中を飛び回る忙しい毎日を過ごしていた。
今回も、インドネシアを中心に活動していたグラップラー犯罪集団「ラクシャサ党」の壊滅のために、ハッタリと北城が出動していたのだ。

ハッタリ 「まあ、戻ってもすぐに別の任務が・・・」

”ドゴォオオオオオオオオ!!!”
ハッタリが激務をぼやきかけた時、爆音と共に、輸送機が揺れる。ふたりも思わず膝をつきかけるほどの激しい揺れだ。

北城トオル「パイロット!何が起きた?」

インターフォンでコックピットのパイロットを呼び出す。すると、切迫した雰囲気の声が飛び込んできた。

パイロット 「な、何者かが主翼の上で本機を攻撃しております!」
ハッタリ  「主翼の上だと!?」

驚き、窓の外に目を向ける。そこには、闇夜のためか詳細は判別しづらいが確かに何者かが主翼の上に存在していた。

北城トオル「振り落とせませんか?」
パイロット 「無理です!さっきから試みてますが、ガッチリしがみついてます」
ハッタリ  「だったら、外に出て直接叩くしかないか・・・おい、北城!」

そこには、北城が既に強化外骨格をまとって主翼近くの非常口を開けようとしていた。

北城トオル「外は既に成層圏です。生身のハッタリ殿より私の方がまだ持ちますよ」

そういって、北城は扉を開ける。途端、すごい勢いで空気が外に向けて吸い出されはじめた。そのまま北城は扉の外に身を出して。非常口の扉がバタンとしまった。

ハッタリ  「こら、北城!」

ハッタリは舌打ちしながら、窓の外に再び目を向ける。窓の外では、既に闘いが始まっていた。
銃を構える北城――それと相対する何者か。
北城の銃が閃光を放ち――、次の瞬間、何者かがバランスを崩して主翼から落ちていく。

パイロット 「コントロール取り戻しました!」
ハッタリ  「やったか!」

ハッタリの歓声。しかし、すぐに驚愕の色を帯びた。
落ちていく何者かから、触手が伸び、北城の足に巻き付いたのだ。

ハッタリ   「北城!」

普段ならばなんともない攻撃だ。北城ならばあっさりとよけられる程度の触手攻撃。
しかし、北城は何故か呆然としたままその触手をよけることができず――そしてハッタリの目の前で、主翼から落ちていった。



※ ※ ※




南太平洋タヒチ共和国マルケサス諸島ウアボウ島。
南洋の楽園の朝は早い。
その日、少女は砂浜でひとりの青年が倒れているのをみつけた。その手には、銃と、そして黒いカバンが握られていた・・・・




一体さん

外伝「楽園の死闘」

文:由良
イラストレーション:はんぺら



Interlude

溥儀    「それで、いまだ北城の行方はわからぬのか?」

いらだたしげな溥儀の声が執務室の中に響く。傍らに立つシルクハットに黒マント姿の男が、すぐさま返答した。

男爵ぴーの「ハッ。周辺国の協力を仰ぎ、太平洋上の捜索をおこなっておりますが
       依然、手がかりひとつ見つかっておりません」

溥儀    「そうか……既に一週間は経過したがまだ見つからぬか」

溥儀は大きく溜息をつきながら、執務室のイスに深くかけた。

お側仕え 「もしや……既に……」
溥儀    「それはありえぬ」

最悪の予想を告げかけたお側仕えの言葉を、溥儀の力強い言葉が途中で遮る。

男爵ぴーの「そうですね。たかが高度10000mから落下したくらいで、
       禁衛隊に選ばれるほどの漢が死ぬ事はないでしょう」

さらにぴーのが、溥儀の言葉を補足する。両者に共通してに伺えるのは、禁衛隊というものに選ばれた誇り、そしてそれに足る男への強い信頼だった。

お側仕え 「しかし、生きているのならば連絡があってもしかるべきかと……」
溥儀    「連絡できぬ状態なのだろう。通信機が壊れたなどのな…
       …それより、ぴーの、例の件は?」

男爵ぴーの「ハイ。調査部からの報告によれば、各国の犯罪組織、テロ組織ともに
       輸送機の攻撃に動いた形跡はないそうです」

ぴーのは片手に持った書類を読み上げる。

男爵ぴーの「現在は、我々個人に恨みがある者を重点的に調査しておりますが
       何分対象が多く、時間がかかっているのが現状です」

溥儀    「わかった。引き続き両方の件について調査の継続を」


Interlude Out




※ ※ ※





――南太平洋タヒチ共和国マルケサス諸島ウアボウ島。
この島の朝は早い。
ある者は、小船で海へ漁に出、ある者は森の中に木の実を穫りに出かける。
電気が通じるようになった今も、この島の住人は昔からの生き方を連綿と続けていたのだ。

そのウアボウ島の砂浜に、散歩でもしているのだろうか、3人――老人と青年と少女の姿があった。

少女     「トオル! ほら見て!大きいの!」

小麦色の肌の10才ぐらいに見える小柄な少女が、両手に持った大きなヤシガニをトオルと呼ばれた青年に向かって掲げた。

老人     「こら、アンナ!トオルさんは怪我人なんだぞ!」
アンナ    「おじいちゃん、うるさい〜」

老人の言葉に少女――アンナは口をとがらせる。なおも言いつのろうとする老人を片手で軽く制して、トオルはアンナに向かって微笑んだ。

トオル    「構いませんよ、ほぅ、大きいですね」

トオルと呼ばれた青年――それは、衣服こそラフになっているものの、紛う事なき北城トオルだった。
溥儀やぴーのの予想通り、彼は生きていたのだ。

アンナ    「ね、すごいでしょう?
        今夜はおいしいヤシガニのスープをごちそうしてあげるからね!」

そのまま、アンナは勢いよく里の方向に駆け出した。
その様に、老人と北城は顔を見合わせ、小さく笑う。

老人     「すみませんなぁ。病み上がりの所を。
        久方ぶりの外の人に、あの子もはしゃいでいるのでしょう」

北城トオル 「いえ。私こそ、お世話になりっぱなしで」

頭を下げる老人に、とんでもないと言った風情でトオルは手を振った。

北城トオル 「上様たちには悪いですが―
        次の定期便が来るまで、一休みさせていただきますよ。
        まあ、通信機が壊れてしまったのは予想外でしたが――」

そこで、北城は輸送機を襲撃した相手のセリフに驚き、不覚にも落下した時の事を思い出していた。


※ ※ ※


高度10000mからの落下――言葉で書くと簡単そうだが、その実、そこからの生還は当然ながら非常な困難を極めた。

間単に計算してみよう。
落下速度=重力加速度×時間であり、
高度=重力加速度×時間×時間/2である。
たとえば、10秒経過したとすると、落下距離は500mで、速度は秒速約100mとなる。時速に直すと360km――新幹線を越える速度だ。
10kmの落下にかかる時間はわずか約45秒。最終速度は約1600kmにも達するのだ。並の人間ならば風圧で動く事すらできない状況である。

高度9000m

分厚い雲の中に突入する。
幸い、襲撃者は落下した直後にいずこかに消えていたため、北城の動きを妨げるのは落下の風圧のみだった。
すぐさまハンドガンを真下に向け、引き金を引く。
ドンッ、ドンッ、ドンッ!
虚空に轟音が響く。射撃の反動でほんの少し、わずか秒速数10cm、スピードが落ちるが、所詮焼け石に水でしかない。
だが――

北城トオル 「誰もいない、な」

北城はハンドガンの射撃によって、雲の中に生じた一瞬の隙間で真下が誰もいない海面である事を確認した。

高度7000m

そのまま銃をホルスターに収めると、右手で左手首をつかみ――そのまま抜く。
すると、精巧な義手の下に現れたのは、黒光りする銃――精神エネルギーを打ち出す伝説の武器、サイコガンだった。

高度5000m

北城はそのままサイコガンの銃口を下に向け、集中を開始する。
既に雲を抜け出し、下には青黒い海面が広がっている。

高度2000m

海面がどんどん迫ってくる。

北城トオル 「これで、どうだ!」

雄叫びとともに、サイコガンから巨大な閃光が真下の海面に向かって放たれる。
もちろん、精神エネルギーを打ち出すサイコガンにはほとんど反動はない。北城トオルもそれは十分承知している。
しかし――

高度200m

青黒い海面が、ふと盛り上がる。
北城は衝撃に備え両腕を前面でクロスさせる。
海面の盛り上がりは急速に大きくなり、次の瞬間、大爆発を起こした。
――水蒸気爆発。
サイコガンのエネルギーで水を熱し、爆発を起こしたのだ。
北城はその衝撃で弾き飛ばされ――そして気を失った。


※ ※ ※



その後、海流に流されて島にたどり着き――現在に至ったのだ。
孤島であるこの島は、月に一度水上飛行機による定期便が来る他は島の外に出る術はなかった。
また、残念ながら、この島には通信機はなく、所持していた通信機も長期間海水に浸かっていたため使用できなくなっており、無事を連絡する事ができないでいた。

北城トオル 「上様達は心配しているでしょうかね……」

ただそれだけが北城の心配事だった。


Interlude

――そこは、深き闇のみがわだかまる、いずことも知れぬ場所。

謎の声1  「どうでしたか? その新しい身体の具合は?」

どこか皮肉げな調子が含まれた、若い男の声が闇の中に響く。

謎の声2  「素晴らしいですぞ…高度10000mから落下してもダメージなどほとんどない」

地獄の底から響くような野太い声が、若い男の問いに答えた。

謎の声1  「そうですか。それは良かった。私も手を尽くした甲斐がありましたよ
        ―しかし、残念でしたね」

謎の声2  「なんの……ことだ?」
謎の声1  「彼――北城君にあと少しでとどめを刺せるところだったのに」
謎の声2  「クククッ…逆に楽しみが増えただけですぞ…見ましたでしょう?
        ワシが……あのことを告げた時の、奴の……表情を」
謎の声1  「いい表情でしたね。苦しみと哀しみと、驚愕とが入り交じった」
謎の声2  「今回はあの表情だけで充分でしたぞ。……次はもちろん殺しますが」
謎の声1  「ふむ。彼も災難ですね……そうそう、彼ですが
        どうやら今は南太平洋の小島にいるようです」

いかなる術をもってか、男は、既に北城の居場所をつきとめたようだった。

謎の声2   「ありがたい。ではいきますか……」

ズルリ、と闇の中で何かが動く気配があった。それは巨大な質量を持つ存在で――。

Interlude Out




※ ※ ※





北城トオル 『平和な……島ですね』

突如始まった南の島での思わぬ休暇を、北城トオルは意外にも楽しんでいた。
グラップラーとして歩んできた戦いの人生に不満があったわけではないが、
戦いの事をまったく考えなくてもいいという時間は、北城にとってみれば格別のものだった。
コテージのベランダに腰掛けながら、そんな思いにふけっていると……。

アンナ    「トオル!」

海岸からの上り坂を、アンナが息せき切って駆け寄ってくる。そのままダイビングジャンプして北城の胸に飛び込む。
北城は苦笑しながらアンナを優しく抱き留めた。

北城トオル 「どうしました? アンナ」
アンナ    「トオルにお客さんだよ!」
北城トオル 「私にお客さん、ですか?」
アンナ    「うん! すっごい美人なの!」
北城トオル 「美人? ……暑苦しそうな男たちじゃないんですか?」

いぶかしげな表情を浮かべる北城。アンナはブンブンと大きく首を横に振ると、

アンナ    「違うよ!ほんとに美人なお姉さんなんだから!もうそろそろ来るよ!」

アンナは坂の方を指さす。そこには――

金髪美女  「Mr.北城?IGPOのエカテリーナというものです。
        日本国からの要請により、あなたの救援のためにやってきました」

金髪をショートボブにまとめ、サングラスをかけた長身の美女がいた。身分証明としてICPOの写真入り手帖を掲げている。

北城トオル 「ほう。MizエカテリーナはIGPOの方ですか……ご苦労様です。
        ちなみに部署はどちらで? やはり諜報局で?」

北城は手帖の写真と本人を見比べながら尋ねる。

キャシー   「ああ、私のことはキャシーとお呼び下さい。
        専門は――
紅華会ハンターです」

にこやかな笑みの形に表情を作りながら、キャシーは北城の問いに答えた。



アンナ    「トオル……おなか空かない?」
北城トオル 「……そうですね」
アンナ    「今日は、シーフードの煮込みでいい?」
北城トオル 「……そうですね」
アンナ    「トオルだけ、ジャンガリアンハムスターの煮込みにするよ!」
北城トオル 「……そうですね」
アンナ    
「トオルッ!」
北城トオル 「わっ!」

生返事を繰り返す北城に豪を煮やしたのか、いつの間にかアンナがベランダに腰掛ける北城のひざの上に乗り、大きな瞳で北城の顔をのぞき込んでいた。
さすがの北城でも、これには驚きの表情を浮かべるしかなかった。

アンナ    「どうしたのトオル。
        昼間にキャシーさんが来てからずっとおかしいよ?」

心配そうな表情のアンナ。北城は軽く微笑むと、

北城トオル 「なんでもありませんよ。女性の身で大変だなぁ、と思いましてね」
アンナ    「そうなんだ……そんなに大変なの?
        キャシーさんの”紅華会ハンター”ってお仕事」

アンナはキョトンと小首をかしげた。平和な南の島ではピンと来ないのも当然だろう。北城は苦笑を浮かべる。

北城トオル 「そうですね。単なる犯罪者追跡というわけにはいかないですから」

紅華会ハンター
それは、紅華会戦後に設立されたグラップラー犯罪を取り締まるための国際的組織IGPO(国際グラップラー刑事機構)の中でも精鋭が集う部署といわれる。
職務内容は紅華会所属の逃亡グラップラーの追跡・捕縛である。
ちなみに、IGPOのトップは九大天王と呼ばれており、その総戦闘能力は禁衛隊に匹敵するともいわれている――閑話休題。

北城トオル 「何かを犠牲にしないと続けるのは難しいでしょうね……」

北城は、そのまま、昼にあった会話を思い出していた。




※ ※ ※





キャシー  「アンナちゃん、ご案内ありがとう。
        ちょっとこれから北城さんとお仕事のお話しあるので、
        席を外してもらえないかしら?」

キャシーは、振り返り、アンナの目線までしゃがみ込むと、手を軽く合わせて「お願い」のポーズを取る。

アンナ   「うん、わかった!でもお姉ちゃん、トオルいぢめちゃダメだよ!」

そういうと、アンナは海岸に向かって賭けだした。
その姿が見えなくなった時。

北城トオル 「ククク……」

北城の忍び笑いが漏れた。

キャシー  「何がおかしいのかしら?」

アンナに見せる笑顔とは違う、氷の表情をキャシーは浮かべていた。

北城トオル 「いえ、何、どうやら純真な少女には、
        私は怖いお姉さんに虐められる哀れな子羊に見えたようですね」
キャシー  「あなたの本性を知ったらそんなことはいえないと思うわ」
北城トオル 「私の本性……ですか?」
キャシー  「ええ。元紅華会所属S級グラップラー“魔弾の射手”にて
        溥儀禁衛隊“六の槍”北条トオルさん」

キャシーの目には先ほどまでは見えなかった敵意の炎が見えた。
北城は小さく溜息をつく。

北城トオル 「あの子ならば、私が元紅華会ということを知ってますよ。
        あの子だけじゃない。この島の人全員がね」

元紅華会ということで、敵意を見せる人間は少なくない。
過去を隠すつもりのない北城は、助けられた直後、自分の身分と、そして過去を島の人に話した。だが、気のいい島の人は、気にせず彼を受け入れたのだ。
もちろん、気にせず受け入れる禁衛隊や、この島の人間の方が珍しいのだが。

北城トオル 「アイタ・ペアペア(気にしない気にしない)といって、笑ってくれたんですよ」
キャシー  「・・・・・勘違いしないで。
        私だって、元紅華会というだけでこんな話をしているわけじゃないわ。
        5年前のバルカン半島を憶えているかしら?」

5年前のバルカン半島――その言葉に、北城の瞳が鋭くキャシーを見つめる。

北城トオル 「なぜ、それを――」
キャシー  「思い出したようね。
        あの時、紅華会はヨーロッパの裏の覇権を手に入れるべく、
        バルカンの裏の大勢力と抗争していたわ。
        繰り返される抗争は半島全域に及び、既に戦争といえる状態になっていた」

北城は目を閉じる。脳裏に「あの時」の情景が浮かぶ。

キャシー  「膠着した戦線に業を煮やした紅華会は、
        バルカン半島を制圧するべくひとりの男に敵勢力の殲滅を命じた」

あの時の北城は若く、そして野心家だった。己の実力を過信し――そして他者をねじ伏せる事になんら憐憫の情すら起きなかった。

キャシー  「その男は、命令を忠実にこなした。
       爆弾などの一般市民を巻き込む無差別殺戮行為をおこなったわけではないわ。
       男がやったのは、敵組織の支部に単身殴り込み、
       その支部をひとつひとつ丹念に潰していっただけ」

敵の攻撃はほとんど装甲を貫く事はできず――逆に北城の銃撃は面白いように敵の額を貫いていった。

キャシー  「支部の8割が落ちた時、追いつめられた敵組織は暴挙に出た。
        強化型PCP『デビル・ダスト』を本拠地のあった都市の水源に混入―
        ―男により失われた戦力を、薬により一般人から創り出した
        『死人兵士(ゾンビ・ソルジャー)』で補った」

『デビル・ダスト』は一度摂取されるとグラップラー以外の全ての人間の脳細胞を破壊、更に体内のDNAすら犯し、その人間を確実に怪物へと変身させる。
そして、回復方法は存在しない――。

キャシー  「敵組織は、死人兵士を洗脳電波により操り、最終決戦を男に挑んだ」

それは、一方的な戦いだった。いかに薬により強化されているとはいえ、所詮一般市民。敵ではなかった。

キャシー  「結果は敵組織の壊滅――そして、
        
その都市の住人10万人も全て死に絶えた。
        ただひとりの死神によって、ね」

すべてが終わった時、そこには累々と横たわる死体。北城はひとりそこに立ちつくしていた。

キャシー  「その男が殺したのは都合10万人以上―紅華会の中でも最大の数だわ」
北城トオル 「良くある事――ですましてはくれそうにないですね」

北城は、小さく嘆息する。

キャシー  「そうね。あなたがやった事は、戦争ではよくあることよ。
        普通の一般人を殺したわけじゃない。ただ、その数が多いだけ」
北城トオル 「苦しませはしませんでしたよ? もちろん自己満足ですが」
キャシー  「みな、一発で額を撃ち抜かれていたわ。
        だから確かに苦しまなかったとは思う。死んだ人はね―
        ―でも、生き残った人間は、違う」

キャシーの言葉に北城はハッとした。

キャシー  「父も、母も、友達も――みな、突然目の前で化け物になり―
        ―そして目の前で銃弾に撃ち抜かれて死んでいった!
        あなたのせいじゃない。理屈ではわかっても、感情が納得しない。
        あなたが殲滅戦を行わなければ!紅華会が攻め込んでこなければ!」

感情を高ぶらせ、叫び声をあげかけた刻、キャシーは、正気に戻るため首を何度か振った。

キャシー  「喋りすぎたわ――明日には迎えの飛行艇が来ます。
        あなたをとらえる事はないから、安心して」
北城トオル 「仇を討ちたいとは思わないのですか?」

北城の問いかけに、キャシーは答えなかった。


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