「兄さん、女難の相が出てるから気を付けて。」
結宇は、玄関先で今まさに出かけようとしている貴史の背中に声をかけた。
「あいにく、占いなんて非論理的なものは信じてない。」
にべもなく忠告をスルーされたが、かまわず結宇は続ける。
「一つの占いだけなら私も気にしなかったんだけど。」
「どういうことだ?」
「四柱推命とタロット占い、風水に占星術、水晶占い、亀卜、コックリさん、全部で同じ結果が出たの。」
「……何か占いじゃないのが混ざってる気もするが、さすがにそれはただ事じゃないな。分かった、せいぜい気を付けるよ。」
「あ、でも兄さん……」
「おっと、もうこんな時間か。悪い、結宇。続きは帰った後でな。」
遠ざかる貴史の姿を見送りながら、結宇は一人ごちた。
「……『気を付けてもムダ』って出てる、と言おうとしたんだけど。仕方ないか。」
Dreieck 〜三角関係
リョウ・アマバネ
「また予告無しの休講か……あの教授、本当に単位くれるんだろうな。」
気合いを入れて1限目から大学に来てみれば、貴史を待っていたのは「受けるべき講義が休講」という出鼻をくじくような状況だった。
「午後の講義までまるっきり暇になっちまったな……しょうがない、街に出て時間を潰すか。」
「あ、貴史。こんなところで会うなんて奇遇だねえ。」
大通りでばったり出会ったのは、妹・由宇とは別の意味で天敵な景。
「げげっ、諏訪……(女難の相ってこれか。)」
「『げげっ』って何よ『げげっ』って……まあ、今日は機嫌がいいから今のは聞かなかったことにしてあげるわ。
ところでこんなところで何してんの?学校は?」
「突然の休講でな。暇つぶしがてら街をぶらつこうと思ったんだが。」
「へえー、偶然。あたしも休講なんだ。」
「自主的に、だろ?」
「あははー、バレたか。それじゃ休講のヒマ人同士、お茶でもしない?」
「ド○ールか?それともスターバッ○ス?」
「む、あたしだっていつもそんなとこばかり行ってるわけじゃないよ。
とっておきのお店に連れてってあげる。すっごくケーキが美味しいんだから。」
景は貴史の手を引いてずんずん歩く。やがて、そこはかとなく高級感漂う喫茶店の前で立ち止まった。
名を「Sanssouci(サン・スゥシィ)」という。
「何だ。ここか。」
「えー、なんで貴史がここを知ってるのよ。第一、甘いもの嫌いじゃなかったっけ?」
「嫌いなんじゃない、ただ甘ったるいのが苦手なだけだ。その点、ここのケーキは甘さが上品かつ控えめだからな。」
「いらっしゃいませ。お二人様ですか?」
ウェイトレスに案内され、窓際の席に着く。
ひとしきり悩んだ後に飲み物とケーキをオーダーすると、景は口を開いた。
「実はね、ちょっと貴史にお願いがあるんだけど。」
何気ない、軽い口振りで話し始めたが、貴史は長年の経験で景がこういうこういうしゃべり方をした時の方が余計に厄介だということを学んでいた。
「お前の『お願い』がちょっとで済んだ試しは無いんだけどな。」
「まあまあ、その辺は気にしないで。」
ウェイトレスが注文の品を持ってくる。
貴史はコロンビア、景はブレンド+本日のおすすめケーキ。今日はチーズケーキのようだ。
「で?お願いってのは?話、聞くだけは聞くから。」
コーヒーにミルクを注ぎ、スプーンでかき混ぜながら貴史は先を促す。
自分で話し始めたくせに、ケーキが来た途端幸せそうにぱくついてる景のペースに合わせていたら身がもたない。
「……今度の日曜日、一日彼氏になって欲しいの。」
景は最後のひとかけらをコーヒーで流し込むと、聞き捨てならない言葉を口にした。
「はぁっ?!」
コーヒーをかき混ぜる手が一瞬止まる。
「何なんだよ、その一日彼氏って。」
「すみませーん、コーヒーおかわりー。」
「聞けよ!人の話を!!」
おかわりのコーヒーを一口すすって、景は話を続けた。
「ほら、よくあるじゃない。一日駅長とか一日署長とか。」
「それと『彼氏』のつながりが見えてこないんだが……」
「こないだ短大の友達と飲み会に行った時なんだけど、いつの間にか彼氏の話になってたの。
そんな時に友達から『なぁに?景って彼氏いないの?!』ってニヤニヤしながら聞かれちゃったら、
誰だって『いるわよ、彼氏くらい!!』って答えるはずよ?勢いで。」
「そういう後先考えない所はほんっと昔から変わってないな……
つまり友達に『じゃ彼氏に会わせて』って言われて引っ込みがつかなくなったから、一日だけ彼氏のふりをして欲しい、と。」
「うんうん、頭の回転が速いとこっちも話が簡単で助かるわ。」
腕組みをして、感心したようにうなずく景。貴史のあきれ顔は見えていないようだ。
「でも何で俺に話が回ってくるんだよ。」
「だって、こんな事頼めるの貴史しかいないもん。」
さも当然、とばかりの答え方に、貴史は反論する気力も失せてしまった。
「まったく……バレてもフォローはしてやんないぞ?」
「さっすが貴史!今度ここのケーキ何でもおごってあげるね。」
「何でも、か。それじゃ特製宇治抹茶シフォン・大納言アイス添えだな。」
「う、何げに一番高いのを……分かったわよ、女に二言はないんだから。」
───そして、日曜日の昼下がり。
「ふふふっ、大勝大勝♪」
摩弥の口元が自然とゆるむ。学生相手の点5雀荘だったが、半荘3回で5000円も勝てば大勝利と言えよう。
「たまには自分にごほうびあげてもいいよね。」
そう言いつつ、摩弥はケーキがおいしいと評判だが、普段の女子高生の懐にはちょっと負荷が大きい喫茶店「サン・スゥシィ」へと入った。
いつも恭子や由宇と行くファーストフード店より数段格の高い雰囲気に緊張しつつ、摩弥は頼んだものが来るのを待つ。
何となく落ち着かなくて、ふと店内を見回すと見知った顔が二つ、何故かそこに。
「え?!あれって貴史さんとお景さん?!」
景の友人と思しき二人組の女性の向かいに座っている景と貴史は、いつもより親密な感じである。
何か見ては行けないものを見てしまったような気がして、摩弥はテーブルに身を伏せた。
むこうとこちらの間には大きめな籐のついたてがある。
隙間の多い代物だが、身を乗り出したり、よほどじっくり見つめない限りは気付かれないであろうはずなのに。
「……何であたし、隠れちゃったんだろ。」
あこがれの人が他の女の子と仲良くしているところなんてホントは見たくない。でもやっぱり気になってちらちらと見てしまう。
和やか、というよりにぎやか、という感じで談笑している……
主にしゃべっているのは景とその友人たちで、貴史は女性陣の勢いに多少押され気味のようではあるが。
「お景さん、腕……組んでる……。貴史さんも楽しそう……」
とその時、向こうのテーブルへ派手に飾り付けられたトロピカルドリンクが運ばれた。ご丁寧にストローが2本差してある。
「ストローが2本……まさか」
こういう時の悪い予感はよく当たる。景と貴史は、向かい合って仲良くジュースを飲み始めたのだ。
「嘘……」
ショックも冷めやらぬ間に、景は貴史の口元に付いているケーキのクリームを人差し指でぬぐい、あろうことかそのまま舐めてしまった。
「あ、あんなことまで……」
それからというもの、せっかく奮発して頼んだラズベリーのトルテも、まるで味の分からない物体になってしまった。
のろのろとそれを口に運ぶも、食べようと開けた口からはため息ばかりが漏れる。
「はぁ〜〜〜、お景さんも貴史さんのこと好きなのかな……」
フォークを持つ手も動きが鈍い。
「問題は貴史さんがお景さんのことをどう思ってるかだけど、何かまんざらでもなさそうだったし……」
カップの中のダージリンも、氷抜きアイスティーになってしまった。
「こんな時、恭子だったら『お景さんのこと好きなんですかっ?!』って貴史さんに直接聞くんだろうけど……
あたしにはできないな……」
向こうのテーブルが席を立った後も悶々と悩み続け、結局摩弥が店を出たのは辺りが夕闇に包まれる頃であった。
……卓を囲んでいるときには恐ろしいまでの冴えを見せる摩弥の頭脳も、どうやら恋愛ごとになるとからっきし、らしい。
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